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Journal

2025.11.07

「REBORN PROJECT」でコラボ。創業110年片山文三郎商店の文化の紡ぎかた

創業110年の歴史を持つ片山文三郎商店は、着物を染める技法である「絞り」を現代的に発展させ、BUNZABUROやKATAYAMAといったファッションブランドを展開しています。オッフェンとの端材を使ったコラボレーション「REBORN PROJECT」でもお世話になっている、四代目・片山一也さんを訪ね、プロデューサーの日坂さとみが京都本店へ。その長い歴史と新しい挑戦、そしてこれからのブランドが伝えるべきことや理想の店舗のあり方についてお話を伺いました。

 

初代のこだわりを未来へ。リニューアルに込めた想い

店舗の改装おめでとうございます。1915年(大正4年)「京鹿の子絞り」専門の呉服製造業として創業した片山文三郎商店の、新たなスタートとなりました。リニューアルではどのような部分を大切にされたのでしょうか。

片山一也さん: ありがとうございます。この改装でうちが一番大事にしたのは、初代がすごくこだわった部分を次の世代に残したい、という思いです。例えば、床に使う木材を1年間寝かせてから施工した、と聞いています。そういった初代の建物のデザインへのこだわりをずっと残していきたい。それが一番こだわったところです。

 

デザイナーさんにも何人か声をかけましたが、初代のデザインを残すとなると、新しくデザインする余地が少なすぎて面白くない、という方もいました。それでも、私たちはそこを一番大事にしたかった。2階も、本当は靴のまま上がれるようにした方がお客様は利用しやすいのかもしれませんが、やはり畳のまま残したかった。ヘリンボーンの床もボロボロでしたが、薬品をつけて磨いてもらったら見違えるほど綺麗になったので、このまま残すことにしました。

1階の店舗ではBUNZABUROのアイテムが並び、2階は着物や絞りに使う道具、書籍などが置かれ、ギャラリーのようですね。

片山一也さん: 1階にはインバウンドのお客様も多いのですが、2階では私たちのルーツである着物や道具、関連書籍などを見ていただけるように改装しました。奥は、洋服に特化したブランド・KATAYAMAのショールームになっています。

 

古い文献も置いています。例えばこれは、昭和34年に松坂屋さんが呉服の催事ごとに出版されていた図録です。昔はこれほど立派な本を1冊作り、メーカーやお客様にもお渡ししていた時代だったのだなと。昭和13年のものと34年のものでは厚みが違ったり、印刷には箔が使われたりしています。それが昭和後半になるとかなり薄くなっている。着物の需要の遍歴がうかがえます。

 

日坂さとみ: 立派で美しい装丁は、作り手への敬意のあらわれでもあるのでしょうね。2階を見渡すだけでも、修繕しながら使い込まれた桶や、絞りによる美しい着物の柄から、歴史の深さや職人さんの手仕事の尊さを感じ、柄の一つひとつにさえ慈しみが湧いてくるようです。

片山一也さん: 父である三代目は、着物が売れなくなってきた時代に、もがいた中で「絞り」技術を軸にした小物やファッション、インテリアを展開するBUNZABUROへと大きくビジネスをシフトしました。僕はその挑戦に魅力を感じて13年前にここへ戻ってきたのですが、今回の改装を通じて、BUNZABUROのベースに着物があると改めて感じたんです。

 

1階のポップな商品から、私たちのルーツである着物に関心を持っていただくのは、なかなか難しいと感じていました。だからこそ、2階に着物を展示することで、バッグひとつにも着物の精神や、京都で受け継がれてきたものづくりの心が入っていることが、少しでもお客様に伝わればいいなと思っています。

 

端材に新たな価値を。「REBORN PROJECT」での協業

日坂さとみ: REBORN PROJECTは、ものづくりの中でどうしても出てしまう端材や残反を、何とか捨てずに形に変えたいという思いからスタートしました。私たちが、というより、ものづくりに関わる皆さんが「捨てないですむ」ためのお手伝いができたら、という考えが根底にあります。以前、PASS THE BATONさんでトリプルコラボをさせていただいた時に、文三郎さんの生地の価値の素晴らしさを実感したので、もし端材があるならぜひ取り組んでみたい、という思いがありました。

 

片山一也さん: うちでも端材は年間で45リットルの袋が5〜6袋ほど出てしまいます。職人さんが手間をかけて作ったものなので、捨てられているのは心苦しい。指輪などに加工してはいるのですが、端材がなくなるほどは作れていませんでした。何とかしないと、と思いながらずるずると来ていた中で、オッフェンさんに非常に可愛いデザインのものを作っていただき、お客様に喜んでいただいている。本当にいいプロジェクトだと思います。デザインはどのように組み立てるのですか?

 

日坂さとみ: 文三郎さんの生地はそれ自体が本当に特徴的なので、この絞りが作り出す小さな世界をどう見せるかを考えたとき、生地の可愛らしさを活かしてシンプルに考えるのが一番だと思いました。

片山一也さん: ギャラリーのインテリアにも端材を使ったりしていますが、「出てしまうものをどう生かすか」「そこにどう付加価値をつけるか」という考え方は、今回のプロジェクトを通じて非常に良いなと感じました。(オッフェンの靴を指して)これはどのように縫い付けているのですか?裏に糸が通っていませんね。

 

日坂さとみ: 通していないんです。足は1ミリでも異物感があると、それを痛みとして感じてしまいます。なので、裏地に糸が出ないようにすべて手作業で縫い付けているんです。先日、電車でこの靴を履いている方を偶然お見かけして。職人さんたちの素晴らしい手仕事が、このような形で喜んでいただけていると思うと、とても嬉しくなりました。

 

京鹿の子絞りの伝統、片山文三郎商店の革新

片山一也さん: 片山文三郎商店は1915年(大正4年)に京都で「京鹿の子絞り」専門の呉服製造業として創業しました。絞り染めは、生地にきつく糸を巻きつけて染まらない部分を作る、古くからの極めて単純な染色技法です。糸の括り方や染め方で、生地に様々な文様を生み出します。

 

現在、絞りの産地として流通しているのは名古屋の有松か京都です。大きな違いとして、京都は都があった場所なので、宮廷の方々から「絞りで細かい柄を作ってほしい」という要望があり、どんどん緻密な表現へと発展していった歴史があったと聞いています。逆にかつて宿場町だった有松は、手ぬぐいのように布を折りたたんで染める「雪花絞り」など、大きな柄を目にする文化だったそうです。

 

伝統的工芸品(伝産品)も、現在では定義が異なっているかもしれませんが、昔は「京鹿の子絞り」は京都の丹後で織った絹の布を京都で絞るもの。一方「有松絞り」は、綿か絹の生地に有松で絞りを施したもの、とされています。

 

片山文三郎商店の絞りが長く愛された背景には、どのようなことがあったのでしょうか。

片山一也さん: 先ほどの松坂屋さんの図録を見ても、松坂屋さんの展示会において絞りを扱っているのはうちだけなんです。千總さんは西陣織ですし、他の百貨店さんの昔の資料を見ても、ある技法については一社が担っていることが多い。その一社に選ばれていたことが大きかったのだと思います。

 

それは、祖父である文三郎の「見せ方」がうまかったからではないでしょうか。うちが作っていた着物は、完全な古典柄ではない、どこかモダンなものが多かった。それが、百貨店さんがお客様に見せたいと思うデザインと合致したのだと考えています。

日坂さとみ:確かに、展示されている着物の絵柄から粋を感じます。他にない柄やスタイルが、先見の明を持つ松坂屋さんのお眼鏡にかなったのですね。その前衛的な姿勢は、3代目であるお父様にも通じているのかもしれませんね。

 

片山一也さん: 絞りというのは本来、染めのために糸で巻いた生地を、最終的には伸ばして反物にするのが当たり前の世界でした。それを父が「糸がかかってツンツンになった状態のまま、何かできないか」と考えたところからBUNZABUROは始まっています。面白い発想の転換ですよね。父が着物だけにこだわらず、時代を読む力が強かったからだと思います。同時に、絞りの技術を使って何か新しい挑戦をしなければ生き残れなかった、というのも実情です。

 

技術と人を守るために、ゆっくりと繋がりたい

片山一也さん: 今、片山文三郎商店は、この本店と銀座三越の2店舗に絞っています。というのも、職人さんが減ってきているからです。昔は反物一反に80列の絞りを作れた職人さんが、今では40から45列ほどしかできなくなっています。コストを考えると、それ以上細かい仕事はお願いできません。一番細かい「本疋田(ほんびった)」という絞りができる方は、もうほとんどいないのが現状です。

 

それをみて、この技術を守り、伝えていかなければならないという使命感のようなものが徐々に芽生えてきました。そのために、お客様に足を運んでいただくための仕掛けを、こちらから積極的に考えていきたい。2階に上がっていただき、着物を見た上で、その背景にある技術について説明していけたらと思っています。

 

日坂さとみ: モノだけを販売するのではなく、自分たちの思想やブランドの個性を知ってもらうのは大切だと私も思います。自分たちの目の届く範囲で、深いファンの方々に丁寧にきちんと伝え、関係を築いていく方がいいのではないかと。昔は、お客様なのにプライベートなことまで知っている、というような関係性がありましたよね。お客様にとっても、様々な情報交換や自分らしくいられるための大切な場所になるような。もう一度、そういった関係性を大事にしていきたいんですよね。

片山一也さん: うちがかつて5店舗あった頃は、売上が上がれば社員や自分たちが幸せになると思っていました。しかし、量と数を追うことで、自分たちの価値を希薄にしているのではないかと感じることもあります。社内で伝える人間が増えるほど、伝えたい想いも薄まってしまいがちだなと考えるんですよね。

 

今は売上目標をある程度割り切っていますが、生産量が減ると職人さんへの発注も減り、技術が失われていくことにも繋がる。何が正解かは時代によって変わりますが、もっと深い部分を自分自身で考えていかなければなりません。職人さんあってのブランドですから、彼らのことも考えながら、今、何がベストなのかをこの2〜3年で模索していきたいと思っています。

 

素晴らしい技術を知っていただき、継承していくためには、購入という形でサポートしていただくことが必要になりますね。

片山一也さん:1階で商品を見ていただいたお客様に、それらが着物作りの上に成り立っているという背景を分かっていただいた上で、「素敵だな」「深いな」と感じてもらう。まずは、それだけでいいと思っているんです。2階に上がってくださったお客様が、ここの写真を撮ってSNSに上げてくださることで「こういう世界があるのか」と少しずつ認知が広まっていく。そして、いつか購入に繋がれば。すぐには結果が出なくても、もう少しどっしりと構えてもいいんじゃないか、と今朝もスタッフと話していたところです。この13年間、少し焦っていたかもしれませんが、最近は少し立ち止まって、ゆっくり進むことも大切だと感じています。

 

片山文三郎商店 京都本店
京都市中京区蛸薬師通り烏丸西入ル橋弁慶町221
営業時間 10:00 – 18:30
TEL 075-221-2666
定休日なし (年末年始、夏季の臨時休業あり。お問い合わせください)

 


 

Öffen Journal Editorial Team
photographer: YUGO TSUCHIMOTO
text: YUKA SONE SATO (LITTLE LIGHTS